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芸術家について

2018年11月24日

人生を逃避するもっとも確実な手段は芸術である。
人生と結びあうもっとも確実な手段も芸術である。
オティーリエの日記より

 ゲーテやパスカルに始まり、音楽ではバッハやベートーヴェン、ヴァーグナー、そしてフルトヴェングラー、それから20世紀の画家フランシスベーコンに、ピカソまで、これだけでも芸術家が何者であるのかを知ることができます。ゲーテの時代からすでにわれわれ現代人に対し警笛を促していたように、全ての偉大な芸術家たちも同じく警笛を鳴らし続けます。その中で、日本では明治維新をきっかけに時代はながれ、第二次世界大戦、つまり大東亜戦争の終結によって大洋の歯車は動き出し、警笛が届くことはもはや不可能となりました。これから私の紹介文(バイオグラフィー)をここに寄せますが、これは私の紹介文でありながら、全体すべての芸術および芸術家のための紹介です。間違っても私個人を非難するような愚かなことはなさらないで下さい。これは何百年、何千年と前から言われ続けたことなのだから。
さて、短い紹介ではありますが、まずはやっていることの意味を知らなければなりません。そして何が不可能となったのか? 芸術家とは何者なのか? この問いに対する答えはこうである。

「芸術とは非政治的、超政治的にすることである。」世界の歯車は、芸術とは逆の方向へ動いているのである。


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芸術家について

 「芸術家とは何者だとお思いだろうか?...」 これは画家ピカソの言葉です。インスタグラムに投降した私の、無意識に宿った内面と外面、古典とロマン、主観と客観は、素材にVAPEのコイルを人物に見立てて使用した、強烈な三枚の写真を皮切りに始まりました。つまり、この現世界では既に芸術は排斥され孤立し、見えない非難によって、私(芸術)を理解せず、手合いには全く無意味、無関心、無知に等しいことでした。しかしそれは、自分がやっていることの意味を知らないだけで、決して憎むべき相手ではありません。
もし、真に純粋さ、そして複雑さからなる単純さを求めた「芸術」が、情熱と愛をもってここを訪れたならば、これから敵に立ち向かい、その努力、勇気ある叡智に対して、私は語りかけ、愛するとともに、次の言葉を賢者に捧げたい。この言葉はもともと『パンセ』の翻訳者である田辺保氏が解説の最後に寄せた「聖句」の一つである。

「The light keeps shining in the dark - 光は暗闇の中で輝いている(ヨハ 一・五)」

 一つに、全体のために自分自身のことなど忘れ、純粋な芸術のために誠実な努力を持つことである。

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 今、インスタグラムに投稿されている芸術を検索すると、そのほとんどはロマン主義によるもの、抽象的で、苦しみでしかありません。これらの「苦しみ」を音楽では、現代作曲家のリゲティやシュニトケなどから本格的に始まったと私は考えています。そして、師事した小川銀次氏もまた、エレキギター、ロック音楽を通じて偉大な演奏を残した唯一の日本人で、「引っ込みバヤシ」や「生きてヤルゥ~!」の演奏などは、純粋に芸術と呼べるものです。
最近では、〇参壱吾(さんいちご)のボーカル、加藤志乃ぶさんや、ギターの永野CAP啓司さんのように、素晴らしいアーティストの方々にはいつまでも頑張ってもらいたいと存じます。いまの私のように、毎日が苦しみと悲しみ、残酷性でしかないような演奏や音楽には、純粋な楽しみを表現することがとても難しいのです。もっともそれは、極めて複雑化された現実によって、芸術の問題がすでに解決済みとしてあしらわれていることにもよります。芸術の問題は芸術家の問題ではなく、大衆の受容する側の問題であって、伝記にあるように、人は時間をかけ、芸術を得るための努力をしなければならなかったのです。複雑化し、離散された教育によって、様式に囚われ、判定そのものが自己の純粋かつ誠実な心ではなく、技術欲によって支配されていること。全体すべては有機的連関のうちに入っていることの意味をまだ知らないということなのではないでしょうか。しかも、音楽は絵画と違い、客観的に全体を聴くことに時間と経験が特に必要とします。
 芸能に於いて、業界や組織に属する手合いは何も語る必要はありません。それはファッションであって、軽喜劇なのだから。感動は自分たちのために、ただ民衆とお互い楽しむことだけを考えていればそれでよいのです。当然、組織を抜きにして芸術は成り立ちえません。ただし、教養を足蹴にし、決して他人を同調させようなどとは望まないでいただきたい。いつでも犠牲になるのは、純粋で敬虔な精神なのである!
 さて、最後になりますが、不可能を可能とすることが今の私の願いであり、ベートーヴェンの第九のように、いつか誰かが音楽を通じて、これからの世界全体に「何者であるのか!」と、知らせ伝えることができればと存じます。私の論文(奇しき書物)にも登場した『捧げることば』を最後に記し、そして、クルトリースの『音楽と政治』にもあった、あのゲーテの『親和力』にある言葉を、同じく序文として記すことにして筆をおきたい。
ありがとう。
尊敬と感謝をこめて 🌐🇯🇵

敬具
伊東洋司


捧げることば

様々に相反するもの。
文明の発展によって、知性そのものから脅威、むなしさに馴れ、
死、悲惨さから逃れようと、中流に位置する人々による全体性の喪失は、
全世界に向けた気ばらしという大航海への狼煙によって、より決定的なものとなる。
今日、人類の道徳的、精神的な存在価値は完全に無力化されつつ、
破滅へと往々に導いていることが、わたしたち現代人の、人類の偉大さである。

ここに 勇気と叡知とを身につけ 同じ悲劇をもってこれに立ち向かい 人間 滅びゆくその最高の瞬間に 暗闇のなかで輝く力と美は また われわれを導く

 

 


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